原山友弘の略歴 |
1972年 |
ピアノコンクール出場(5歳) |
1979年 |
全国絵画美術展にて、金賞受賞(小学6年) |
1980年 |
全国書道展にて、金賞受賞(中学1年) |
1981年 |
NEC PC 8001にて、パソコンを始める(中学2年) |
1982年 |
日本で初めて迷路を用いたRPGを考案し、エニックス主催ゲーム・ホビープログラムコンテストにて、アイデア賞を受賞(中学3年) |
1982年 |
阪神タイガース、甲子園にて、選手応援歌を作り広める。
ミッキーマウスマーチを替え歌に用い、真弓明信選手のヒッティングマーチとする。これ以降、各球団の応援団が選手応援歌を作るようになる。(中学3年) |
1985年 |
阪神タイガースが、21年ぶりのリーグ優勝が決まった10月16日、タイガースファンを梅田に集結し、集まり過ぎたため御堂筋を下り、商店街を練り歩き、カーネルサンダーをバースに見立て胴上げし、たどり着いた戎橋にて投げ入れ、その後次々と川に飛び込むファンが続出(高校3年) |
1986年 |
関関同立すべてに合格したにも関わらず
トヨタ自動車に内定が決まっていたにも関わらず
日東電工の代理店、日昌電材に入社。 |
1988年 |
バブル絶頂期
大手企業より製品開発の依頼が殺到し
液晶パネル・エアバック・タッチパネル・逆支弁などを開発しライン生産のための工業用ロボットも制作。製品検査用のプログラムを日本ユニシスに依頼をしたが数式を理解してもらえず、自らプログラムを制作。 |
1993年 |
Jリーグ発足
ガンバ大阪にてサポーター組織を作り、日本代表のサポーターにもなる |
1994年 |
会社自体が大きくなるにつれ、事務作業・管理職の仕事が増え、技術職を続けたかったが、折り合いがつかず退社 |
1994年 |
ガンバ大阪のサポーターは東京ではあまり人が集まらず、千葉ロッテの応援団に手伝ってもらっていたが、千葉ロッテ自体も応援する人が少なく、マリーンスタジアムでサッカーの応援をやっていると、それに火が付き、千葉ロッテの応援がサッカーの応援ぽくなってしまう。
同様に福岡でホークスの応援もサッカーの応援ぽくしてしまう。 |
1994年 |
JFL川崎製鉄サッカー部の応援を始め、
1995年、ヴッィセル神戸としてJ1昇格へサポート |
1995年 |
大工になる |
1998年 |
フランスワールドカップ 日本代表初出場の試合を現地トゥールーズに見に行く |
2004年 |
マンション管理士・管理業務主任者を取得 |
2006年 |
大工の仕事よりも、インターネットでの収益が上回り、本格的に現在の仕事を始める。 |
2006年 |
チラシ広告など、一切の広告費をかけず、インターネットのみで募集する、幼児教室を始める。ネットで知名度を上げただけに、TV、雑誌、新聞などのマスメディアからの取材が殺到する。 |
2007年 |
離婚をきっかけに、本拠地を神戸に移す |
2012年 |
全国でFacebookのセミナーを開始
Facebook Masterと名乗り始める |
2013年 |
Facebook評論家として名乗り始める |
2014年 |
ネット集客コンサルタントとして全国を駆け巡る |